コントロールできること

人間、自分のコントロールできないことがストレスの全てと言ってもいいのではないか。

 

子育てをするとよく分かる。苛々する。それは畢竟、自分の思い通りにならないからだ。

子育てをすると、自分の時間も行動も全て自分の思い通りにならなくなる。駄々をこねられて苛々するのは、目の前の子がこちらの思い通りに動かないからだ。

 

そうして考えてみると、人の苛立ちや不満、不安は根っこを掘ってみればほとんど全て自分の思い通りにならないことに起因している。

これはまあ当たり前のことで、仏教でも、自分の思い通りにこだわることを執着と呼んで戒めている。

何百年も昔から分かっている当たり前のことなのだ。

 

仏教は執着を捨てなさいという。生老病死、すべて思い通りにはならない。それに執着するから苦しくなる。

 

しかし私たち凡夫は、そうは言ってもなかなか執着など捨てられない。

思い通りにならないことにこだわらない、柳のようにしなやかに流して涼しく生きていくなどとてもできない。

 

当たり前である。私たちは凡夫なのだから。

日常で忘れがちになる中で、指針として禅の心を持って助けにすればいいのである。

 

私たちはなかなか「思い通り」を捨てられない。

 

そこで、小確幸である。

小さくても確かな幸せ。

ささやかでも、これは自分の世界だと思えるような、時間や物を大切にすること。

それだけでも少し心が落ち着くというものだ。

慌ただしい日常の中にこそ、小確幸を大切にしたい。