ある行為が「意図的」かどうかについて

 

英米哲学史講義 (ちくま学芸文庫)

英米哲学史講義 (ちくま学芸文庫)

 

 

少し前に上の本を読んだ。

因果論とか経験論とかは、自分にとってはあまりアクチュアルでないというか、重要性をやはり感じなかったのだけれども、下の話は面白かった。

 

ある会社が事業を進めようとして、それが環境破壊につながる可能性があると、部下が指摘したとする。

上司はそれを無視し、会社の利益のためだけを考えるのだと事業を進めた。結果、環境破壊が起こった。

この場合、人はこの上司を、「意図的に」環境破壊をしたと言うだろう。

では逆のケースならどうか。

ある事業を進めた場合、環境保全に貢献する可能性があると部下が指摘したとする。

上司はそれを無視し、会社の利益だけを考えるのだと事業を進めた。結果、環境保全に役立った。

この場合、人はこの上司を、「意図的に」環境保全に貢献したとは言わないだろう。

 

二つのケースで、上司は全く同じように振舞っている。

それにもかかわらず、人は一方ではこの上司を「意図的だ」とし、他方では「意図的でない」とする。

人の「意図的」という評価には、実は道徳的評価が組み込まれているのではないか。

ジョシュア・ノーブという哲学者はこのように提起して研究をしているらしい。

 

言われてみると、確かにそうかもしれないと思う。

興味深い視点だ。