不満足なソクラテス

満足な豚であるより、不満足なソクラテスであるほうが良い、という言葉があります。

 

正確にはイギリスの功利主義者ミルが言ったことで、満足な豚であるより不満足な人間であるほうがよく、満足な愚者であるより不満足なソクラテス(賢者)であるほうがよい、という感じの言葉。

目先の自分の欲求に溺れた愚者よりも、自分のことは少し我慢してでも全体にとっての良いことや幸せを考えられる人のほうが優れている、という意味で、だから常に全体の利益から善悪を判断しようとする功利主義をサポートする文脈で言われています。

 

でもこれとは違った文脈で、ああ満足な豚であるより、不満足なソクラテスとはもちろん言わないまでも、不満足な人間であるほうがきっといいよな、いいはずだ、と私は自分を励まします。

というか勝手に少し励まされるような気がします。

確かに悩みがあったりうまくいかなかったりしている時の方が、しんどいけれど、よく考えている気がします。

なにもかもだいたいうまくいってこの世は満足じゃ〜となってる時って、あんまり鋭敏に考えてない。

悩むししんどいし心も重いけど、きっと満足した豚であるよりこれはこれで人として前に進んでいるはずなのだ、賢くなっているはずなのだと、自分を励ましていこうじゃありませんか。