仏教史概観

 ここでは非常に簡潔に仏教の歴史をおさえて、禅を含む大まかなマッピングとしたい。

 仏教は紀元前5世紀頃に、現在のネパールに生まれたゴータマ・シッダールタをもって開祖とする。彼は王族である釈迦族の皇太子だった。年齢については諸説あるが、二十九歳のときに彼は妻子も地位も捨てて城を出る。このときに四門出遊という有名な逸話が残っていて、お城に東西南北とあった門から皇太子として出かけた際、老人、病人、死人の姿を見て人生に苦悩するようになり、最後に修行者を目にしたことで出家を決意したというものだ。

 その後彼は絶食などの壮絶な苦行に打ち込んだが、やがて方向転換し、木の下で静かに座って悟りを開いた。ガンジス川中流域を中心に老齢で亡くなるまで教えを広め、現在では釈迦や釈尊、仏陀(悟った者の意)と呼ばれている。

 釈尊が入滅したのち、弟子たちは修行に励みながら戒律や教理をまとめたり研究したりしていたが、百年後くらいにはいわゆる根本分裂が起こり、分派が繰り返されることとなった。それらは部派仏教と呼ばれる。そしてやがてこの部派仏教を批判する文脈で起こってきたのが大乗仏教だ。

 部派仏教はどういうものだったかというと、出家者による出家者のための仏教だった。理説を研究し、修行に励む。それは大切だ。しかしそれだけでは世の多くの人は救われない。まず人々のためという方向がなければならないのではないか、という考えが大乗仏教にはある。2〜3世紀頃にはナーガールジュナ(龍樹)が『中論』を著して徹底した「空」を説き、大乗仏教の流れが確立されていくこととなった。なお仏教自体はインドでは根づかず、他地域へと伝播した。部派仏教のうち代表的な上座部は、主に東南アジアに広がった。そして中国を経て百済から日本に伝来したのが大乗仏教だ。

 禅宗は大乗仏教の一つで、6世紀頃にインドで生まれた菩提達磨が中国において成立させた。達磨には壁に向かって九年間も坐禅を続けたという伝説があり、ここから日本ではおなじみの「だるま」の置物が生まれている。

 禅は初め中国で発展したが根づかず、むしろ鎌倉時代に栄西、道元らが中国に渡って学び伝えた日本において脈々と生き続けることとなった。現在日本の禅には三つの宗派があり、道元の開いた曹洞宗、栄西の開いた臨済宗、江戸時代に明から来た隠元隆琦による黄檗宗である。曹洞宗は坐禅を重視し、臨済宗はよく禅問答と言われるような公案を用いる。

 日本における大乗仏教には禅宗系のほかにも、密教系、法華系、浄土系など非常にさまざまな流れがあり、例えば念仏を唱えれば極楽浄土に救われるとする浄土系の教えと禅宗を比べても、もはや同じ宗教だとは言えないほどに全く異なっている。このような多様さを持つことが、仏教の懐の深さと言えるだろう。そもそも日本の仏教は、出家した僧であっても妻帯できるなど他地域の仏教徒からすれば考えられないような状態になっており、一般的にも多くの人々は神社にもお寺にも行けばクリスマスも楽しむというように、日本の宗教風土はたいへんおおらかであると言える。そのことを批判する人もいるけれど、個人的には私はこうした曖昧さ、寛容さはむしろ高く評価できるものなのではないかと思っている。私はゆるやかに共存し、許しあうという風土で生きたいと思う。