禅について書きます。

4か月近く続けてきた当ブログの毎日更新も、おそらくそろそろ止まります。

とは言ってもそれほど読んでいる人もいないので大した問題ではありません。

 

私は、文章を書くことはわりと好きであると思います。少なくとも、それほど苦じゃない。それで小遣い稼ぎができたらまあ結構言うことないじゃないかと思って始めたブログだったのですが(そう、最初のエントリーからはっきり公言した通り、私はお金目的という欲得でこの禅と名打ったブログを始めたのです。大いなる矛盾ですね)、私のブログでは大して稼げないことが分かった。

この4か月で発生した収益はGoogleアドセンス9割とamazonアソシエイト1割くらいの体感で、だいたいうまい棒換算で150本ほどです。

今月に至ってはPVアップに繋がるような種の記事をもう狙って書いていないこともあって、今のところうまい棒換算で10本にも満たない。10本にも満たないのです。

 

これでは、収益目的のブログにはまったくならない。

ちょっと期待して始めた人も、こうしてブログをやめていくんだろうなと思う。

 

バズって検索流入が望めて、という種の記事を書くことは私の肌には合わないし、無理してやってもどうせ続きません。私に書けるのは気ままな小エッセイや禅についてですが、そんなものを書いていても検索流入もPV数も望めない。それはもうはっきりと分かっています。

もともとPV数や読者数を大きく伸ばしたいとか人気者になりたいとかは思っていませんでした。思うとしたらあくまで収益を増やすためにPVが必要なんだろうという程度で。

まあ全く誰にも読まれなかったらさすがにシュンとするだろうけど、それはあまり重要じゃない。

PVに関して言えばだいたいこの4か月は平均にしたら月4000くらい。今後も特に増えていく気配はありません。

3か月続けたらとか100記事書いたらとかいう言説をよく目にするけれども、それはその期間PV対策でいろいろ工夫しながら書いている人の話であって、私のようにあまり変化なく同じようなことを同じように書いているだけでは、特にドメイン力がどうの検索がどうのという変化は起きません。

Googleアナリティクスとか全く見てないけど、特にPV数が変化していないのだから間違いなく検索流入なんかもないはずだし、この先もないでしょう。PVの伸びを期待してブログをやっていたとしたら、もうこれ以上続けてなんかいられない。

こうして人はブログをやめていくんだろうなと思います。

 

でも、PV数が伸びないのならそれはそれで仕方ない。それはそれでいい。

だからブログとか更新とかをやめる理由にはならないです。

ただ全くお小遣いにはならない、という点では、もういいかなという気持ちにはなりました。

それが正直なところです。

 

でも、考えてみればこれはおかしな話です。

いやしくも禅が好きだと思ってそれについて考えて来たり、それをブログのタイトルに掲げたりしている人間が、本当にそんなことでいいのか。

そうも思いました。

でもじゃあ何のために続けるのかって考えると、やっぱりしんどい。

たたたーっとたくさん書いたストックがあったうちはいいけれども、それがなくなったら、もう無理して書くことはないかなと思っていました。

 

しかし、何日か前からのエントリーを書いていて、ああこれなんだなと腑に落ちる感覚がありました。

もともとPVはそれほどもういいし、収益も見込めない。じゃあ、何で書くのかというと、あえて言えばやっぱり自分のためだろうと。

やっぱり、私は書くことで救われている部分があるなと思った。

あるいは、もしもっと軽い感じで書くとしたら、やっぱり単純に書くこと自体が何か楽しいからだろう。

 

ああちょっとしんどいなと思ったときに、それを文章にする。もともと自分以外誰も読まない日記に何かを書くというのはずっとやってきたわけだけれど、それと同じような形で、でもそれとは少し違う形で、誰かが読んでくれるかもしれないという形で、文章を書くというのは、また違う救われ方があるなぁと思った。

それは誰かが読んでくれるから救われるというのではなくて、またちょっと違った形で文章を書ける、文章を書く場所があるということにです。

 

そして改めて考えたり、久しぶりに考えたり、考え直したりして、文章を書くことでちょっと思い出したり分かったり、それによって落ち着けたりする部分がすごくあった。

ああこれなんだなと思いました。自分にとってこの「禅ねずみ」というブログはそういうものなんだなと思いました。もう収益でもPVでもない。別に続けるために続けるわけでもない。じゃあ何なのかと言ったら、これなんだなと思いました。

 

これからは、自分の修行としてこのブログを書いていきたいと思います。修行と言ったらなんだか大仰で滑稽だけれど、もう少し正確に言えば、日常の中の一種の瞑想というか、長谷部誠風に言えば心を整えるために書こうと思います。

心を整えるために、文章を書く。

だから、読まれなくてもかまわない。自分のために書く。

心を整えるためにじゃなくて何か書きたくなることがあったなら、それはそれで書く。それも、単に書きたいから書くだけで、まあ自分のためと言うか、目的のない文章になるだろう。でもそれこそが禅的なのだ。

 

そしてもし、万が一、その文章をネットの道端においておくことでそれが誰かの役に立ったとしたら、これこそが利他行というものになるだろう。

無私のところに自然と成り立つのが利他行なのだろう。我執を捨て、無我になったところに勝手に残るものが慈悲なのだろう。

そういう風に思いました。

 

私は、いつからか執着を捨てるということを考えるうちに、それが自分なくすことではなく、単にいろいろなことにこだわらないというだけの方向に行きすぎていたということにこの数日で気がつきました。

そうではなかったはずでした。

我を捨て我をなくす。自分がなくなる。そうすればそこに自然と残るのは(自他さえもない)利他行であり、それこそが慈悲なのではないかと。そういう風に思った。そしてこれはそういえばいつか以前にも少し思って分かりかけていたことだったのでした。

今ここから私をマイナスする。そうするとここに残るのは他者だけであり、他者のための行いだけであり、それは慈悲なのです。私から私をマイナスすれば私自身も他者になる。それがおそらく悟りの境地です。

 

そのために、ブログ(文章)を書く。であるからこそ、それは自分のためであると同時に、他者の目にも触れる可能性のあるブログという場であることに意味があるのです。別に読まれることは目的ではないが、それでも読まれる場所になければならない。他者のためではなく自分のためではあるが、それは自分を消し去るためでなければならない。

何を言っているのか意味不明でもあるとは思うのですが、私の中では直観としてこの方向だというのはつかめているし繋がっています。

私もまだうまく説明できないのですが、これなのだということは分かる。

そのために私はこのブログで文章を書こうと思います。

それを指して私は修行と言っているわけです。これは文章を書くという形の瞑想、座禅のようなものです。

 

そのように書いていきたい。

そしてここで告知をします。

私は今後上記のように書いていきますし(といってもどうでもいいくだらない内容を相変わらず書いているかもしれませんが)、毎日更新にはならない可能性の方が高いとは思いますが(それは私にも本当に分からないのです)、その前に、大変恐縮でありがたいことに、もしこのブログを多少なりとも楽しんで読んでくださっている方がいらっしゃるとするなら、その方々向けに(またネットの道端にそっと置いておく用に)、明日から4回シリーズ(4日間)(たぶん)で、仏教について書きます。

主に仏教の「空(くう)」について書きます。

これはちょっと本格的な仏教論になります。いや、かなり本格的な仏教論にもなると思います。これを読んでいただければ仏教の一番中心で根本のところを理解していただけると思います。そういう意味で、本格的です。

でも私に能う限りで分かりやすいように書きます。

1つの記事にしちゃったほうがいいのかもしれないけど、長くなるので、読んでいられないと思うし、4つに分けます。

 

なぜこれをするかというと、空について了解していないと、私がこのブログで今後何を書いてもなんだかよく意味の通じない、話の通じない与太話になってしまうと思うからです。私は禅について語る以上、仏教の空を前提にして話しますし、だから仏教ではこうなりますとか言われても、「だから」って何だよってなると思うのです。

私は禅について語りたいのですが、神秘主義みたいなものにはしたくないのです。やはり理路整然と理解できることをもとにして考えたいし、語りたい。禅や仏教は宗教だとはいっても、これが神だから信じろとかこれが教義だから頭から信じろとかそういうのは私の肌には合わないのです。

禅はそういうものではありません。

 

空は、仏教(大乗仏教)の一番の核心であり、最重要概念です。

般若心経などでもよく聞く「色即是空、空即是色」の空です。

これが分かれば仏教の要諦はつかんだといっていい。

だから、これについて書きます。

一度書いておけば、今後空について触れることがあっても、リンクを貼っておけばそれで不案内にはならずに済ませられますし。

だからとりあえず向こう数日間か数回はそれについて書きます。

そのあとのことは、分かりません。

とりあえず、長谷部誠風に心を整えて生きていきたい、そういう風に思っています。

 

そんなわけでこんな駄文をいつも読んでくださっている(少数の)みなさまには、心から感謝申し上げます。

合掌。