人の心はままならない、だから辛い

生きるというのは辛いことです。
仏教は一切皆苦と言います。全ては苦しみです。
この苦しみというのは、自分の思い通りにならないことを思い通りにしようとすることを指します。


自分の思い通りにならない最たることの一つは、きっと人の心でしょう。他人の心。
これはどうしようもない。働きかけることはできるかもしれないけれど、大人になった人の考え方とか感覚とかを変えることは簡単じゃない。
まして何人かが関わっていて、それぞれに違いがあって、正しさがあってとなると、これはもう本当に簡単じゃない。


一言で言ってしまえば、人間関係の悩みですよね。こういってしまうと、本当に月並みにしかなりません。
でも人として生きるって、人として生きるからこそ、やっぱり人間関係は苦の一番大きなものの一つなんじゃないでしょうか。

それは思い通りにならないから。何人もの人を全部自分の思い通りにしようなんて無理な話だし、傲慢な話です。

 

諦めるのは違うと思うし、それはそれで苦しいだけですから、どうにかしようと心を砕いたりもするわけですが、だからといって思い通りになるわけではない。そうすると、やはり苦しい。


何が辛いかってやっぱり、この人はありがたいなと思う大切な人に辛い思いをさせているときですね。そして当事者それぞれに事情や正しさや文脈があって分かりあえないときには、本当に辛いですね。

どちらが間違ってるとか悪いとかじゃなく、ただ違いがあって分かり合えない。齟齬が生じる。

だったら違いを分かり合えばいいじゃないかっていう単純な話にもならなくて、やっぱり人には違いを頭でドライにクールに理解するだけじゃなく、気持ちっていうものがある。

それにそんなに0から100まで毎日全部の文脈をやりとりしてすりわせて共有できるわけでもないのだから、どうしてもそれぞれの文脈で合わない部分も出てくる。

 

自分が間に立っているような立場なら、自分が誠心誠意心を砕くしかないのでしょう。でも、そんなにうまくできないことのほうが多い。
自分もとても弱く卑怯で至らない人間だから。
ああ苦しいなぁ申し訳ないなぁと思います。しかし今日も生きなければなりません。

 

全部ドライに手放せれば良いのかなぁと思います。それがある意味ではこだわらないということなのかもしれない。
しかし、人の心は思い通りにはできないのだからもうどうでもよいと諦めるのは、また違うとも思う。


思い通りにならないことにこだわらないことと、しかし、それでも誠心誠意人の心に心を砕くということ。
ままならない他人の思いに必要以上に感情を引きずられず、また自分自身の可愛さや自分自身の感情にこだわりすぎず、しかし、それでも人の気持ちから目を背けず、大切にして振舞うこと。
これらを両立させるためには、一体どうしたらいいのか。

仏教は慈悲だと答えるでしょう。
こだわりを手放しながら、そこに同時に慈悲が働く。
私には無理だ。

私には到底無理です。

私には慈悲というものが分かりません。我執を捨て、我から離れて行ったときに、どのようにしたらそこに慈悲が生まれるのか、慈悲とはどのように働くものなのか、私にはそこが分からない。

その理路が分からない。

これは私の長年の(というほど生きてませんが)課題というか疑問なんですね。

たぶん理路とかいう風に、頭で理解することじゃないんだろうと思います。慈悲とは自然に湧き出てくるものなのだと思います。

しかし我執を捨てることと慈悲が生まれることがどのようにつながるのか、つながらないとしても、どのように両立するのか、私には分からないんです。

頭で考えてるからなのだと思います。

でも、仏教は、禅も間違いなく、慈悲を説く宗教です。禅仏教は極めて論理的で冷徹なので(何しろ理論的には仏教には天国も地獄も神も存在しません。それらは全て空ですから。そういうものが実在すると説くのは少なくとも禅仏教ではあり得ません)、宗教というより理論だ、哲学だという向きもありますが、私はそうは思いません。仏教は宗教だし、禅もやはり間違いなく宗教です。また宗教であるべきだと思う。私は禅の理論的なところが好きなのですが、それでも宗教だと思います。

 

それはやっぱり、仏教は慈悲を説くものであるからだし、苦しいときにすがるとは言わないまでも、ある種の助けを求めるものだからです。

 

禅は極めて理論的に空を論じるし、我執を説く。しかし、同時に慈悲も説く。

道元禅師もやはり慈悲を説いている。

でも私には、そこがよくわからないのです。

 

何を書いているのか分からなくなってきました。

閑話休題。

人間関係の話でしたね。

この世とはああ辛いものである。

そんな風に思う時もあります。

長くなったし今日はこのへんで終わります。

結論なんて出ないんだから。

人間関係や人生に結論なんかないんだから。きっと。