足るを知る、そして感謝する

なくしたもの、持っていないもの、思い通りにならないもの、そういうものを数えるより、今ここにあるものを数えたい。

それが足るを知るということだと思います。

 

持っていないものやこうなるはずだったという満たされない思いにばかり目を向けていても、心が乾燥して殺伐とするだけです。

ルサンチマンや不満やとにかく呪詛を吐きたくなる気持ちがたまって、何もかも嫌になってくる。恨みがましい気持ちになってくる。

 

そういうときは、今自分が与えられているもの、今自分が持っているものに目を向けたい。

よく考えれば、当たり前だとしかとらえていないけれど、実はこんなものもあるじゃないか、と思いたい。

こうしてご飯があって、寝るところがある。思い通りにはならなくたって、まわりにいてくれる人もいる。ささやかな楽しみがあって、ネットにこうして駄文を連ねるような贅沢もあって、そして根本には、まあ何だかんだいいながらこうして生きている命がある。

それだけでもよくよく考えてみれば素晴らしいことじゃないですか。そして、大変ありがたいことです。

 

そんな風に足元に目を向けることも大切だと思います。これは、自分に向かって言っているのですけれども。

ああ、そうだ、こういう部分はありがたいじゃないかって思えなければ、いつまでたっても不全感や欠落感や不幸感ばかりになってしまいます。

たとえささやかでも、これがあるじゃないか、これはこれで十分じゃないかと思える心持ちから、また明日も生きようという気持ちが生まれてくると思う。

感謝の気持ちを持つことが心の安定なんだと思います。まずそこから始まるのだと思います。

 

それが足るを知るということなのでしょう。