2000日続けた私が思う、日記のささやかな効用について

これが当ブログの100記事目のようですが、そんなことよりも、あと10日ほどで毎日つけている日記が2000日になります。

2000本安打達成が近づいています。

 

Evernoteでつけているのですが、数日前に数を見て気づきました。

私が日記を始めたきっかけは下の通りなのですが、 

www.zen-nezumi.com

 2000日となると5年5か月以上になるわけですから、改めて数字を見るとなかなかのものだと感じます。

その間おそらく途切れた日はなかったと思います。あったとしても1日くらいでしょう。

そして1年前の今日の日記を検索して読む、そして今日の日記を書くというのを習慣にしてきました。最近では読むほうはさぼりがちですが、書くほうはもう歯磨きのような感じで続いています。

 

日記の効用というのは、基本的には私はないと思っています。というより、効用を求めて書くにはあまりにも効用がささやかすぎて、その目的では続かないのではないかと思います。日記というのは基本的にはただの習慣であって、それほど実用的ではない。

 

しかしそれでもささやかな効用はあって、私が思うに日記の良い点は次のようになります。

①まず、単純におもしろい

1年前の日記、たまってからは5年前の今日の日記も読みますが、これはわりと面白い。Evernoteで日付の数字を検索して読むわけなのですが。

同じようなことをしていたり、でも変化があったり、全然違うことをしていたり、忘れていたようなことを考えていたり。

時の流れ、諸行無常を感じます。

いいことも、悪いことも流れていきます。

そう思うと、今日しんどくても、これもいつかは過去になると思えば少し励まされるし、いいことがあってもこれはまた今にしかないものなのだと思えば、より愛おしく大切に生きられる。

過去の自分が書いたものを読むのって、わりと楽しい。過去の自分というのはまあ一種別人みたいなものですから。しかし同じ人物でもあるわけで、そのあたりのちょっと不思議な感じが面白い。

 

②と続けようと思ったけど、まあだいたい①で効用は終わってしまいましたね。

強いてあげるなら、嫌なこと辛いこと悲しいことがあったとき、日記に吐き出したり積み下ろしたりぶつけたり、書きだしたりしてみたら、少し楽になります。ときにはだいぶ楽になります。

これは心理学的にもよく聞きますが、確かに間違いなくあると思う。

誰かに聞いてもらったら楽になるのと同様に、文字にして書いたり外に出してしまえば、整理されたり、ちょっと落ち着けたり、吐き出してすっきりできたり、本当にそういう風に気持ちが変化する。

寝る前に日記を書いて、今日はもう今日で終えて、それから寝る。

それだけでずいぶん気持ちに区切りをつけて明日に向かえる。

また新しい一日が来る。

そうやって一日いちにち生きていく。

日記って、確かにそういう効用はあるんじゃないかと思う。

誰かに言えないことや、わざわざ言うようなことじゃないことも、1年後の自分が読んでくれると思えば書ける。少なくとも聞いてくれる誰かがいるわけだ。

ある一定期間後に読む、というのも、日記を続ける大きなコツだと思う。

 

あとは、③として挙げるまでもないけど、たまに物事を思い出すのに役立つ。

行った店とか会った人とかその時期とか、やったこととか、何か必要が出て時系列とかが思い出せれば役に立つときに、日記を検索すれば分かることがある。

まあでも、これは本当にたまにしかない。このために日記を書くというのは、わりにあわないと思う。

 

こう書くと、やっぱり基本的には日記には実益みたいなものはあまりないんだろうなと思う。日常のとなりにそっとあるものなのだろう。結局はただの1つの習慣なのだろう。

でも、毎日の生活というのは、習慣でできているのだ。そして人生は毎日の生活でできている。

 

このブログも100記事目ということで、産声を上げたというところからはいくらか遠ざかったのかもしれないが、いつまで続くかは分からない。毎日更新してきて、今月が終われば3カ月になる。

日記を毎日書いてるんだから、まあブログもそれなりには続くだろうと思って始めたのがそもそものスタートだった。いつまでも毎日更新が続くかは分からないし、3カ月100記事いろいろ試してみた結果これからもPVも収益もその他よく分からないけれどブログの指標みたいなものは今と変わらないぱっとしないぼちぼちなままずっといくのだろうけれども、まあそれでいいやと思っている。

結局は自分にとっては、日記の延長線上にあるものなのだ。だからどうしたってやっぱりそういう程度のものにしかならないし、また、どのような形であれそういう感じでは続いていくのだろうと思う。

それにこうして見出しもつけずにだらだらと文章を書いていて、これがやっぱり結構心地よくて、楽しいのだ。

それならそれでいいじゃないか。

だからブログの効用というのは、私にとってはここまで書いてきたような日記の効用と同じなのだと思う。

ブログの場合には、1年後や5年後の自分のかわりに、今これを読んでくださっているどこかのあなたがいてくださっている。そういうことなのだろう。

ブログというのは一種の手紙なのかもしれない。私はたしか1記事目で、瓶に手紙を入れてどこかの誰かに向かって海に流すように書きたいと書いた。本当にそんな風に書けたらと思う。そんな風に書き続けられたら、きっと楽しいだろう。

幸か不幸かこのブログは、開設した当初にドメイン代ととはてなプロ代を2年分もう払ってしまっている。だから少なくとも2年はこのブログは消さないだろう。きっとお金のもとはとれない。私にとっては結構大きな金額だったので残念だ。でもまあ仕方ない。そのおかげで楽しいこと、ありがたいこともある。お金がすべてじゃないさと強がってみるしかない。このように私はだいたいにおいて先のことをよく考えずに決めたり行動したりして、後から頭をかくことになる。でもだから面白いこともある。

 

100記事とかで節目みたいなことを書くつもりは全くなかったんだけど、結果的にはそうなってしまった。面目無い。でもまあするつもりのなかったことをしてしまうから書くことは面白いのかもしれない。ちょっと大げさに言えば生きることも。

 

途中から、日記の話がブログの話になっちゃった。

まあこれはブログなんだから、これでいいんだろう。

以上が、日記2000本安打間近、ブログ3ヶ月連続試合出場間近の私が今思うことでした。

 

p.s.

野球に2000本安打で名球会があるように、はてなブログにも2000本安打で名球会があってもいいのではないでしょうか。

2000記事というのはちょうどよい塩梅の基準だという気がします。毎日更新しても5年以上かかるわけですし、そうではなく毎日粗造乱発したとしても、たとえどんな質の低い記事だろうと、2000書いたら十分大したものでしょう。

2000本安打達成!っていうのをはてなブログ公式がやってくれたらいいのに。

2000本安打が近づいている◯◯さん、今日は安打が出たのでしょうか??

残り、いよいよあと2!

とかはてなブログトップでやられたら、どんなクソ記事で数を稼いで来た人も、下手な記事は書けなくなっちまいますよ。

それにしても、青木宣親選手の2000本安打達成は素晴らしかったですね。チームをずっと渡り歩いてる形になってるので、もう少し評価される扱いであって欲しいと願いますよ、ほんとに。