今この瞬間のシンクロニシティ

「今この瞬間、これをしてる人って日本に何人くらいいるんだろう」

っていうのを私は結構よく考えます。

 

たとえば私は今iPhoneの画面に保護シートみたいなのをつけていないのですが(少し前に汚くなってきてたのを外したのです。やっぱり人間もiPhoneも裸が一番美しいと思って)、使ってるうちにやっぱり細かい傷とかついてきてるのかなと思って、表面を光にかざしたりして子細に眺めていたわけです。

 

そういうときにふと思います。

ちょっとまてよと。

今この瞬間に同じようにiPhone(またはandroidその他のスマートフォンでもいい)の画面の傷をじろじろ確かめている人間って、一体日本にどれくらいいるんだ? と。

今この瞬間です。たった今同時に同じことをやっていなければなりません。

まあ1000人くらいだろうか? 何しろ1憶3000万人もいるんだし。

 

それが変なシチュエーションであればあるほど私は思います。

たとえばトイレでお尻を拭いているとき。ふと冷静になって(?)思うことがあります。ちょっとまってくれ、今まさにこの瞬間にお尻を拭いている人間、ウォシュレットでもいい、それはどれくらいいるんだろう。これは、結構大量にいそうだ。朝だしな、とか何とかそういう。

 

そしてさらに、その人間の中で「『今お尻を綺麗にしている人間は日本に何人くらいいるんだろう』とまったく同じように今考えている人」はどれくらいいるんだろう、と考えると、また不思議な感慨にとらわれることになります。

おそらく、日本で3人くらいはいるのではないか。

すると、何かその3人と心が通じ合ったような気持ちになるのです。一切どこの誰かは分からないが、確実に今、私たちは稀有な形で思い合っている。

おお、これは本当にすごいことだ。おそらく、向こうも同じようにトイレで思っているはずなのだから!

君の名は?

そんな風に考えると、この世界と言うのは実に不思議な場所だという気がするのです。

(日本で狭ければ、世界70億人でどうでしょう。おそらく何をしているときにでも全く同じ瞬間に同じことをしながら上記のように想像している人間は、70億人もいれば他に1人くらいはいると思うのです。何しろ70億分の1の確率ですから、なかなかの確率です。ぴったりと1人に合ってきそうなちょうど良い低い確率です)

 

たぶん、この思考の起源は小さい頃に空を見上げて、今空を見上げている人はどれくらいいるんだろう、と考えたことだったのではないかと思います。なかなか美しい想像です。

しかしそれがエスカレートすると、人間トイレの中で用を足しながらこのようなことを考えるところまで行ってしまうのです。人間とは実に恐ろしいものです。

 

こちらからは以上です。