塩水と実感

誰だってブログを書いてPVや読者数が増えればうれしい。それは自然な感情だ。

しかしPVや読者数を追い求めるのは塩水を飲むのと同じで、どこまでいっても際限がない。どれだけ飲んでも満足できないし、喉は余計に乾き苛烈にエスカレートしていく。

ブログを書く理由は、それがどれだけ読まれたかではなくて、それをどれだけ自分が楽しんで書けたかだ。自分の実感が大切なのであって、その基準はPVやブクマといった外側にあるものではない。

 

繰り返しになるけれど、確かにPVが伸びて読者も多くいて、たくさん読まれれば嬉しい。そういう心性は誰にだってある。

でもそれが満足の基準になってしまったら、どうやったって虚しい。

ブクマが数十個ついただの読者やPVがいくら増えただなどと言っても、ふとその基準で上を見れば、数百個のブクマ、軽く四桁の読者数を叩きだす人はいくらでもいて、それに比べれば自分の増えた減ったなど吹けば飛ぶようなちんけな話だ。

じゃあ自分もブクマ数百個や読者数四桁になればいいのかというと、それを基準に満足感や誇りを持つ心性ならば、今度は自分より数が少ない者を見下し、自分より多い者に嫉妬し、結局そんな人との比較にあくせくあくせくするだけで何も変わりはしないだろう。

たとえはてなブログ界で頂点を極めたところで、日本全体で見ればブログを読んでる人なんか所詮ごく一部に過ぎないわけで、知名度も影響力もそのへんのテレビで見かける芸能人や名のある作家の足元にも及ばないだろう。比較にもならない。俺はPVいくつ読者数いくらあるんだと誇っていても、そのへんの人に聞いたら「誰それどうでもいいんだけど笑」という程度の話にしかならないだろう。

さらにたとえ日本で知名度が高くなったとしても、外国に出れば誰それ聞いたこともないしどうでもいいって話にしかならない。

さらにたとえ世界的な知名度を得られたとしても、死ねば終わりだ。100年もしたら誰も覚えていないだろう。苔むした墓があるだけ。たとえ教科書に名前が載ったところで別に200年、300年後の人からしたらどうでもいい字面でしかない。

1000年、2000年とたったらそんな記録さえもまともに残っていないかもしれないし、まともに顧みられもしていないだろう。

そもそも何十億何だか何百億年だか何千億年だかして太陽系なり、宇宙なりがなくなってしまえば、全部なかった話になるだけだ。

そんな中でPVや読者数を基準にどうだこうだして一体何になるだろう。知名度、評判、名声をうんぬんして何になるだろう。ちっぽけな話でしかない。それで満足できるなら構わないが、それを追い求めても結局は虚しいだけだ。そんなものを基準に一生生きていくのだろうか。これは昨今のインスタ、ツイッターのフォロワー数やリツイート数、フェイスブックのいいね数を追い求めて生きることにもあてはまる。

 

自分の満足の基準は、自分の中にあるべきだ。自分の身体的な実感にあるべきだ。

たとえば本当に自分が美味いと心から思える好物を食べているとき。これはもう誰が何と言おうと美味しいし、幸せだ。他人からよく思われるとか他人から評価されるとか関係なく、ただうまい。楽しい。生の喜びがある。

たとえ他人がけなそうが、現に最高に美味いのだからもうそれでいいのです。他人がいいねすればそれはおいしく、他人がいいねしなければそれはおいしくない、そんな基準でものを選んで食べている人間より、よっぽど自分の生を味わって生きていられるだろう。その方がよっぽど死ぬときにああ美味いものを満足して食べて自分は生きられたと感じるだろう。

リツイート数や読者数が増えればそれは自分のしたいことで、リツイート数や読者数が増えなければそれは自分のしたいことではないという基準で、自分のしたいことを選んで行動している人間も、上の例の前者と結局は同じだろう。死ぬ間際、本当に自分は楽しかったのだろうかと考えた時に、ああ本当に楽しかったと満足できるのだろうか。残るのは他人からもらったいいねの数だけではないか。

もちろん、それで本当に満足した生を生きられるのなら、それは一つの立派な生き方になる。生き方に正解などないわけだから、結局フォロワー数や読者数を積み重ねることが自分の最も満足し充実した生き方であり生の実感なのだと言うのであれば、それはそれで本当に幸せなのだ。他人がつべこべ言うことではない。

しかし、それでもやはり、自分の実感はまず基準として点検が必要になるのではないかと思う。

もちろんその自分の実感には、フォロワー数や読者数の増加を喜ぶ実感も含まれてくるだろう。現代社会は否応なくそういう構造になっている。私たちはもはやフェイスブック的いいねの感覚を完全に無視しては行動できない。

 

しかしそれでも、そういった外側にあるものが基準のベースになっているのか、自分自身の内側にある身体的実感が基準のベースになっているのか、どちらがベースになっているのかに自覚的であることはとても大切だと思う。

食べ物の例で言えば、これは他人から評価されるから食べているのか、それとも自分の身体的実感で食べているのか、そのどちらがベースなのかということだ。

もちろん、繰り返すが実際にはその両方が複雑な形で分けがたく入り混じっている。

しかし確実に言えるのは、他人がどう言おうが関係なく俺はこれが楽しいんだと思ってできたことは、実際に他人から評価されなくてもそれだけで満足や充実や楽しさがある。反対に、自分自身の感覚としてどうかよりも他人から評価されるだろうからという理由でやったことは、実際に他人から思うように評価されなかった場合には虚しさしか残さない。そしてほとんどの場合、他人は思うようには評価してくれないのだ。ではそんなことを求め続けるのが本当に幸せなのかということだ。

 

それがブログにおいては、冒頭から言っているPVや読者数を追い求めることだ。

ブログにおいても、俺は他人がどう言おうと関係なくこれが楽しいんだと思って書く部分がなければならないし、その部分こそが決定的に大切なのではないかと思う。

ブログをやっている以上、実際にはPVや読者数を全く求めず喜ばない心性はあり得ないし、どうしたってそこに飲み込まれていく。

だからこそ他人は関係なくこれが楽しいんだと思って書く部分、自分自身の実感として楽しいと思えることこそを大切にしなければならない。

要するに、自分の身体感覚でものを食べなければならないということだ。自分の実感でものを書かなければならない。

まずは自分一人でも美味しいという感覚、それを楽しむ実感を得ることだ。

 

塩水の刺激に惹かれながらも、自分の実感をこそまず大切にすること、これである。

 

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