誤配としての、あるいは「観光客」のはてなスター

哲学的にはてなスターを語るとどうなるかの試み。

 

はてなスターの良いところ

 

はてなスターの良いところは、相手がどういうつもりでつけたのか分からない点にあります。それにも関わらず、受けとる側は褒められたと思えるところにある。

 

(言葉のない)形としてのスター

 

私もたまに散策に出かけたくさんのブログを読み、スターをつけます。

その時にありがたいのは、コメントを書かなくていいことです。適当な性格なので、いちいち言葉を残さなきゃいけなかったら面倒で何もしないと思う。

いわばスターは拍手とか、ご馳走さまと言うのと同じなんですね。形だけで、中身の説明がいらない。ここが良い。

 

「ご馳走さま」としてのスター

 

特にご馳走さまという言葉がメタファーとしてちょうど良い気がします。つまり一口に「ご馳走さま」と言っても実際には色んな場合があるわけです。

もちろんとっても美味しかったと褒めたいとき、心から感謝して口にするときもあります。一方で、普通にひと時の食事としていただきましたとか、単にありがとうといった程度もある。 それどころか習慣や惰性で言うだけのときもあるわけです。

はてなスターも同じです。

もちろん全く良いと思わなかったらつけないけれど、そんなに毎回真剣につけているとは必ずしも限らない。そこには様々なニュアンスがあるわけです。ちょっとした拍手もあれば、軽いノリだったり、何となくつけている時もあるかもしれない。

実際には必ずしもそれほど熱烈な賛辞ではないかもしれないのです。

 

利己的なスター

 

そしてよく言われるように、スターには自ブログのアクセスアップのため(よく言えば、交流のため)の側面もある。あちこちにスターを残しておけば、それをたどって自分のところに来る人も実際増えます。打算的で利己的なスターも十分あり得るわけです。

私自身もあちこち読んでスターをつけるとき、そのことは当然分かっている。はてなユーザーがスターをつけるとき、そのことが全く頭にないはずはありません。

 

誤配としてのスター

 

つまり1つのスターが持つ意味は、受け取る側には分からないのです。

私もスターをいただくことがありますが、その実際の中身やニュアンスを知ることはない。ただ上記のような色々な場合があるんだろうなと思うだけです。それは分かっています。

 

しかし、にも関わらず、嬉しい。

 

これこそがはてなスターの最も良い点です。

実際には何となくつけられたスターでも、適当につけられただけだったとしても、受け取る側からするとやはりスターを貰ったという事実になり嬉しい。どうしても褒められたのだと感じてしまう。

 

言ってみれば、これは誤解です。

また過大に意味を解釈する場合だってあるでしょう。

つまり読者が「正直問題もあるしすごく良い記事だとは思わないけど、まあ少しは参考になったし頑張ってるようだからスターつけとくか」と思ってつけたスターでも、受け手は「おお、やっぱり良記事として評価されたか!」と思う可能性はある。

というか、書き手の心情としてどうしてもこうした解釈に寄ってスターを見てしまう傾向はあると思います。

 

スターにはメッセージがないからこそ、むしろ様々なメッセージを運んでしまう。

これは、「誤配」なのです。

 

観光客の哲学としてのはてなスター

 

私が積極的に評価したいのはこの点です。

というか、これって東浩紀=デリダの言う「誤配」じゃないかと思ったからです。

はてなスターはまさに、『観光客の哲学』そのものなんじゃないでしょうか。

 

読者は、そんなに真剣な気持ちでもなく、物見遊山で、暇つぶしに、楽しみとして、適当に、ブログの記事を読みに行きます。特によく知らないブログを覗きに行くときは、余計にそうなります。

軽い気持ちで、「観光客」として行っているのです。

 あるいは、自ブログのアクセスをアップさせてやろうという、利己的な振る舞いをしている。

 

しかし、その結果としてつけられたスターは勝手に様々なメッセージを持ち(散種し)、誤配され、その効果として人と人をつないでいきます。

たとえ軽いノリや、単なる楽しみや暇つぶし的な適当さ、利己的な目的でつけられたスターであっても、そのおかげで確かにはてなブログ全体は活性化し、人々にポジティブな効果を与え、人々はつながり、あとから見るとそこには温かな連帯があるかのようになります。もちろん、確かに温かく繋がる場合もあるでしょうが、そこには多かれ少なかれ避けがたく誤配も含まれています。コミュニケーションにおいてはやはり実際のところは分からない部分も残るからです。

 

これは、まさにそのまんま東浩紀さんが『ゲンロン0  観光客の哲学』で言っていることと同じです。本当にそのまんまです。はてなスターには観光客の哲学的可能性があるのではないか。

 

断っておくと、そのまんま東浩紀と言っても、私は別にここでそのまんま東を意識してこう書いたわけではありません。東国原英夫さんはもう政治家ではないのに、いつの間に「そのまんま東」は完全に葬られてしまったのか、葬られた「そのまんま東」は一体どこへ行ったのか、それが哲学上の大きな宿題になっていることはもちろん言うまでもありません。その問題意識は私も共有しています。しかしそれについて書きだしたら、エントリーがいくつあっても足りないでしょう。このブログではとても扱いきれません。

 

閑話休題。

なんか書いてるうちにそのまんま東が出てきてどうでもよくなってきちゃった感はあるんだけど、とにかく言いたいのは、はてなスターには観光客の哲学的可能性があり、私はこれからも観光客として書き、観光客としてどんどんスターをつけていきたいということです。

皆様におかれましても、これからも、ぜひ観光客としてこのブログにお越しいただければと存じます。

今後ともよろしくお願いいたします。

  

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学