Common groundを探そう

私は昔、北米にいてとあるアパレル業界でしばらく働いていたことがあります。といっても、実態はアルバイトみたいなものです。

 

そのときに印象に残ったことがあって、アメリカみたいな人種のサラダボールにおいては、一番無難な、一番スタンダードなものが売れる、ということ。

たとえば靴だったらコンバースのスニーカーみたいな。

 

日本は違います。

日本ではよく知られている通り、その日店頭にディスプレイした服のコーディネートが一番売れたり、雑誌で特集されている品が一番売れたり、そのシーズンごとの流行りものが売れたりして、その時その時で一番売れるものがいつも違う。

 

一方でたとえばアメリカでは、一番売れるものはいつも同じ。

人々のバックグラウンドも考え方もみんな違って、みんな嗜好も感覚もばらばらだからこそ、むしろ一番売れるものは、一番共通の、一番スタンダードなものになる。

 

日本では、互いにみんな何となくだいたい同じだと思っている。同じような考え方、同じような感覚で、同じ雑誌や流行を追っている。

だから一番売れるものがその時々でバラバラに変わる。

 

みんな違うから結果的に共通のものが一番売れるアメリカと、みんなで同じように動くので一番売れるものがコロコロ変わる日本。

 

もちろん、これはあまりにも構図を単純化しすぎていて、ステレオタイプでもあり、このポストモダンの世界においては実情とは違う面が大きいかもしれない。

人から言われたことで裏もとってません。

しかし私はこの話を聞いたとき、非常にはっとして、面白いなと強く印象に残ったのです。これは何か示唆的であると感じた。

 

というのも、当時はオバマ政権であり、彼の発していたメッセージと通底するなと思ったからです。

オバマ大統領は、特に最初に当選したときのキャンペーンでは、common groundを探そう、というメッセージを出していました。

Yes, we can.も言っていたけど、共通の土台を探そう、そこを大事にしてつながっていこうというメッセージをむしろ発していた。

共和党、民主党の分断状態にうんざりしていたアメリカ国民にはそれが受けた。

 

もちろん、その後はうまくいかなかったことも多いかもしれません。

しかしなぜオバマのメッセージがアメリカ国民に希望を与えたかというと、前提にはみんな違うのだという認識があったからです。

それぞれ個人で別々なのは当たり前、だからこそ一緒に立てる場所を大事にしようというメッセージが受けた。

 

日本ではそういう意識は少ないと思います。

分かり合えず、別々で当然なのだから、だからこそ数少ない共通部分をこそ大切にしようという視点はあまりない。

むしろ違うところとか、合わないところに目がいきがちだというのは、確かにある。

 

でも実情としては、日本でもやっぱり私とあなたは感覚も考え方も、これまでの生い立ちも何もかも違うし、別の人格なのだから、分かり合えなくて当然です。

みんなの嗜好がばらばらになり細分化する流れは、ますます加速していく時代です。

 

だから、人は分かり合えないのが当然なんだと考えるほうがいい。

悲観的な考え方に見えるかもしれないけれど、違うところばかり取り上げて問題にしたり攻撃したり、不愉快になっていては、息苦しくなるだけだ。

違うのが前提で、だからこそ共通部分に目を向けるという意識でいれば、たとえ少しであっても分かり合えた部分があれば有り難いと思えるし、大切にできる。そこでつながっていける。

そのほうが実情にも合っています。それに、生きやすくもなると思うのです。

 

common groundを探そう。