追悼 デーブ・ヒルトン氏

元ヤクルトの選手、デーブ・ヒルトンさんが亡くなった。

 

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私はヒルトン氏のことを知らない。ただ村上春樹が小説を書こうと思い立ったきっかけとして名前を覚えているだけだ。

近年は少し作品と距離ができてしまったようにも感じるけれども、私は村上春樹さんが大好きだった。今も敬愛している。昨日書いたネパールの旅にも春樹さんの小説と紀行文(たぶん『遠い太鼓』ではなかったかと思う)を持って行った。春樹さんの小説では『羊をめぐる冒険』が好きだ。それについてはまたいつか書くかもしれない。

 

デーブ・ヒルトンの逸話は、よく晴れた神宮球場の外野芝生席で、彼の美しい二塁打を見た瞬間に村上春樹がふと小説を書こうと思い立ったというもので、いろいろなエッセイで繰り返し書かれている。

たしか春樹さん自身がどこかに書いていたけれど、それは奇跡のような瞬間だったように思う。これも何かのエッセイで春樹さんは、もしその時初めて書いた小説(デビュー作『風の歌を聴け』)が群像新人賞を受けなかったら、おそらく二度と小説を書かなかっただろうと述べていた。

 

大学のときに映画の研究をしていて、映画のシナリオライターになりたかったそうだし、バーを開業しながらずっとペーパーバックの小説を読みあさっていたようだから、もともと小説を書く素養はあったのだろう。

でも、もしその日春樹さんが神宮球場に出かけなかったら、それが良く晴れた気持ちの良い日でなかったら、あるいは、デーブ・ヒルトンがそのとき二塁打を打たなかったら、村上春樹さんは死ぬまで小説を書こうなんて思いつかなかったかもしれない。

そういう可能性は実際にあったと思う。

この逸話が村上春樹の作り話だとは思えない。春樹さんが小説を書こうと思い立つには、神宮球場のその瞬間でなければならなかったのだ。

人生にはそういうことがあると思う。

そしてうまいめぐり合わせで、その小説が文学賞をとった。『風の歌を聴け』は紛れもなくデビュー作として規格外の傑作だとは思うけれども、それでも各社の文学賞のカラーやそのときの選考委員の顔ぶれ次第では、いくら村上春樹とはいえ初めて書いた小説で評価されなかった可能性はあっただろうと思う。

もしそのどれかが少しでも違っていたら、今日の世界的な小説家は存在していなかった。

そう思うと、人生とかこの世界とかは、本当に不思議なものだと思う。

ほんのちょっとのバランスで、色んなことが変わってくる。色んなことは、実は本当に危ういバランスの上に成り立っているのかもしれないと感じる。

そう考えると、村上春樹さんの人生とか文学的歩み自体が、とても文学的であり、その原点には全く関係のない人生を歩んできた1人の野球選手がいる。デーブ・ヒルトンという名前は私にとって、一種独特の神聖ささえ持っている。

彼は私に、この世界の不思議さを教えてくれた。

本人は全く預かり知らないだろうけれど。だからこそより一層不思議なのだ。

 

デーブ・ヒルトンの訃報に接し、書かずにはいられなかった。

R.I.P.