トルストイとチャップリン

昨日の話で思い出したものがあって、トルストイの言葉。

幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。

『アンナ・カレーニナ』の冒頭。光文社古典新訳文庫版です。

 

人間の幸せはみんな同じようなものだけど、不幸は本当にそれぞれありとあらゆる形があるんだ、っていうのは、何か実感するところがあって、印象に残っていたんですね。

安易かもしれないけど、世界中のことを考えてみたら、幸せっていったらだいたい安全な暮らしがあって、食べ物も水も不自由なくあって飢えてなくて、家や部屋があって風呂に入れたり、テレビ見たりネットして楽しめて。きちんと寝るところもあって、あとはまわりにいてくてる人があったりして、まあ明日も平穏に日常があるやって人は、何だかんだいってやっぱり客観的にはみんな幸せな立場の人でしょう。

でもそういう生活がない国や地域や環境や状況の人の苦しさというのは、本当に個別的なわけで。

でも上記の幸せな立場という人も、やっぱりそれぞれに生きづらさや苦しみを抱えているわけでね。そうすると、簡単に幸せとは言えないわけで、幸せの形も、本当は不幸せが様々に入り混じっていて複雑なんだっていうことになるのかもしれない。

何だか当たり前みたいな話になってきちゃったな。

人はみんな個別的なのだからね。一般論ではくくれない。

 

何が言いたかったのかよく分からなくなってきちゃったけど、もう1つ思い出した言葉があって、こちらはチャップリン。

人生はクロースアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。

こっちの言葉の方が救いがあるかもしれない。

チャップリンがこれを言っているっていうのが、味わい深い気がするんです。

 

そういえば学生時代の大親友が、『チャップリン自伝』がとにかく良いって言ってたな。まだ読んでない。いつか、読まなきゃ。

あいつ、元気にしてるかな。

こっちは、ぼちぼちやってるよ。

 

チャップリン自伝: 若き日々 (新潮文庫)

チャップリン自伝: 若き日々 (新潮文庫)

 
アンナ・カレーニナ 1 (光文社古典新訳文庫)

アンナ・カレーニナ 1 (光文社古典新訳文庫)