「切れる」はら抜き言葉か?

「切れる」はら抜き言葉なのか?

今までも何度となく思ってはきましたが、またこの疑問にとらわれました。

 

「見れる」はら抜き言葉。 →正しくは「見られる」とする(少なくとも新聞、ニュース原稿などでは)。

では「切れる」は? →「切られる」、だと何か受け身っぽくて違う気がする。

 

でも「見れる」がダメなら、「切れる」もダメなのでは?

どうも少し言い切るのには不安がある。

本当に「切れる」でいいのだろうか?

 

ら抜きことばの見分け方

 

「~よう」をつける、というのを聞いたことがあります。

「~よう」がつけられる動詞は、ら抜き言葉になってしまうので注意。

 

「見よう」とできるので、「見る」は、「見られる」と言わなければならない。

同じように「着る」も、「着よう」と言えるので、やはり「着れる」ではなくて「着られる」だ。

 

では「切る」は?

 

これは「切よう」とは言わない。「切ろう」だ。

だからこの見分け方に準じれば「切れる」で正しくて、これはら抜き言葉ではないはずなのだ。

しかし、自信がない。

そこで、ググってみた。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

結論

  

Yahoo!知恵袋を根拠にしてよいのかは分からないが、何やら非常に詳しく文法的説明がなされているようだ(ちょっと読む気にならなかった)。

とにかく、何か正しそうだ。

 

どうやら「~よう」で見分ける理論は正しく、「切れる」で良いようだ。

これからは自信をもって「切れる」と口にしていくことにしよう。