無功徳という言葉には逸話があり、主人公は菩提達磨(ぼだいだるま)さん。
インドから中国へ行って禅宗を創始した人で、日本のあの赤い「だるま」のモデルです。
梁の武帝が達磨を招いて質問したときの逸話です。
この武帝は仏教への信仰が非常にあつく、寺を建立したりしていろいろ頑張っていたらしいんですね。
そこで武帝は達磨に聞きました。私の今までの行いにはどんな功徳がありますかね? と。
達磨は答えて、無功徳、と。
功徳なんかないです。武帝からすると「えっ」という感じだったと思いますが、これは見返りを求めた善行は真の善行ではないとかいうことよりも、「そんなことどうでもいいよ」という感じだと思います。
どんな利益があるかな、なんてやってる行動について意見を聞かれても、そんなしょうもない考え方どうでもいいよ、そんな風にとらわれてる生き方どうでもいいよ、という感じではないかと思います。
この逸話には続きがあって、武帝は「じゃあ聖なる真理とは何なのか?」と問います。
達磨は答えて、「廓然(がらんとして)無聖なり」、まあ、空っぽですね。
そんなことどうでもいいんだよね、という感じがします。
そして達磨は武帝のもとを去って行った。
この軽やかでスケールの大きな感じ、これが私は好きなんですね。